地域を編む、記憶と未来を綴る
本稿は、文化としての住まいを考える建築専門誌『住宅建築』2025年2月号特集「地域のなかの建築 地域を育む建築」に寄せて執筆したものです。
地域と不動産への想いの原点
私は、石川県金沢市で「ことのは不動産」という小さな不動産会社を営んでいる。大学を卒業後、金沢市内の出版社で月刊情報誌の編集者をしていたが、自分の住むまちをもっと楽しくしたいという思いで転職を重ねるうちに、不動産業界に流れ着き、最終的には一人で不動産会社を立ち上げることになった。
私が育ったのは、金沢市内から車で45分ほど、能登の入り口にあたる石川県羽咋市。山と潟に囲まれた田舎町では、土地や家が売り買いされる場面を見ることはほとんどなかった。曾祖父母の代から続く家に住み、周囲も代々その土地に根付いて暮らしている家族ばかり。土地や家は所有するというより、次の世代へ引き継ぐものだという価値観が強く根付いていたように思う。実家の敷地内には墓が1基あったが、そこには私の直系家族だけでなく、何代も前に分家した集落の傍家も一緒に祀られていた。また、裏山の広大な畑は近所の人たちと分担して耕作し、潟に続く田んぼは稲作を行う農家が耕し、収穫物の一部を田んぼの所有者に分けていた。
つまり、土地や家というものは、単に自分たち家族だけのものではなく、地域全体の歴史や自然の一部として存在しているものだった。人と人とのつながりが土地を通じて自ずと形成され、近所の家族同士が日常的に助け合いながら、土地の管理や作物の世話を共同で行っていた。こうしたコミュニティのあり方が、私の土地や家に対する考え方の原点にあるのかもしれない。
大学進学とともに実家を離れ、金沢での生活が始まると、不動産が商品として取引され、人々が頻繁に住む場所を変えたり、資産として土地や建物を投資対象にしたりするのを目にするようになった。都市部では、土地や家は生活の基盤であると同時に、資産としての価値が強調されていた。また、土地や建物をうまく活用することで街が新しく生まれ変わる姿に興味を持つようにもなった。ちょうど金沢大学附属小中学校の跡地に金沢21世紀美術館ができ、古い町家を活用したカフェができ始めた頃だった。
やがて不動産業界に転職し、自分自身も「土地や建物を活かす」という側面に携わることになり、不動産が人々の生活や地域に深く関わるものであることを強く実感するようになった。土地や建物には、その場所に住む人々の記憶や文化、生活の営みが刻まれており、それをどのように扱うかが街や地域の未来に大きな影響を与える。そして、今の金沢の魅力は、そうした過去からの積み重ねによって形成されていると感じた。
不動産仲介業と新しいプロジェクト
金沢はご存知の通り、加賀藩前田家の城下町として栄えた街である。犀川と浅野川という二つの川に挟まれた台地や丘陵地を活かして、城を中心に市街地が広がっている。加賀藩の時代から400年以上にわたり戦火を免れてきたことから、当時の都市構造や歴史的な遺産が今なお色濃く残されている。昭和25年以前に建てられた伝統的な構造や意匠を有する木造建築「金澤町家」もその一つであり、金沢の気候や風土に合った、居住と生業が共存する場として人々の暮らしとともに受け継がれてきた。
「ことのは不動産」では、こうした金澤町家をはじめとした旧市街地の土地や建物を主に取り扱っている。物件をセレクトしているわけではないが、定量的な価値だけに捉われない不動産の媒介を信条に、言葉という意味の“ことのは”を屋号に入れて開業以来、それに共感してくれる所有者からの媒介依頼が多く、自然とそんなラインナップになっていった。物件には、構造や築年、面積などといった一般的な不動産情報だけでなく、それぞれの所有者から聞き取った土地や建物のストーリー、数値では表すことのできないその場所の心地よさや空気感などを必ず文章を交えて提示している。


『編む』第1弾の横山町の家の改修前。20年間時が止まっていたかのように家財がそのまま置かれていた。
これまで仲介業という立場で多くの古い建物を現所有者から新しい使い手へとつないできたが、時折もどかしさを感じることもあった。それは、売りに出された建物がその魅力を見出されることなく放置され、価値が十分に検討されないまま壊されてしまうことがあるからだ。どうしてもそこで落ちてしまうバトンを落とさずにつなぐためには、「ことのは不動産」自体が一旦その建物の所有者になるしかないと考え、町家改修のプロフェッショナルである地元工務店と協力し、空き家の改修再販プロジェクトを始めることにした。年に1棟程度ではあるが、自社名義で古い空き家を買い取り、改修後に販売していくという取り組みだ。単なる物理的なリノベーションではなく、元の所有者の想いを丁寧に汲み取りながら建物をゆっくりとほどき、次の所有者の暮らしを想像して建物を編みなおす、そんなプロジェクトにしたいと考え、プロジェクト名は『編む』とした。


空き箱に整理された手芸用品。キッチンには手書きのレシピノートが残されていた。
第1弾は金沢市横山町に建つ昭和2年築の金澤町家だった。所有者の母親が住まなくなって20年以上空き家になっていたもので、他の不動産業者から「土地(古家あり)」として売りに出されていた。建物内を見せてもらうと、中には当時の家財がそのまま置かれ、棚には草花のスケッチや画材、色とりどりのハギレなどが空き箱にきちんと分類されて残されていた。建物にはかなりの傾きや傷みがあったが、その佇まいからは住み手が日々の暮らしを生き生きと楽しんでいた様子が伝わり、『編む』によってきっと良い方に引き継げる予感がした。曳家や根継ぎをするほどの大工事にはなったが、完成後には町家暮らしに憧れていたという家族に住み継いでもらうことができた。

改修後の『編む』横山町の家。土間に置いたのは、この家に残されていた裁縫台。
新たな価値軸の提示
このプロジェクトにはもう一つの意図がある。それは、不動産に対する新たな価値軸の提示である。一般的に不動産は、築年数や立地、面積といった数値的な指標に基づいて価値が評価される。まして建物は、新築時が最も高い価値があるとされており、時間の経過とともに価値が下がっていく。これは、建物が年々劣化するために資産価値も減少していくという減価償却の考え方に基づいている。しかし、私が感じていたのは、それだけでは測りきれない暮らしの記憶やその場所に流れる時間の重みが、不動産には刻まれているということだった。こうした無形の価値は、単なる数字や減価償却では捉えきれないものであり、むしろ時間が経つにつれて豊かに積み重なっていくものだ。特に、古い建物には、そこで長年暮らしてきた人々の思い出や生活の軌跡が染み込んでおり、その「物語」こそ、不動産の新たな価値として見つめ直すべきではないかと考えている。


『編む』菊川の家の改修前。躯体の傷みもあり、内部解体時には梁が落ちて、梁を交換する工事も行なった。
『編む』の第2弾として取り組んだのが、今回紹介する「菊川の家」である。犀川から程近いこの菊川という町は、藩政期には足軽屋敷が建ち並んでいた場所だ。当時の名残から幅員が2mにも満たない路地も少なくなく、古い木造住宅が密集していて、近年は住民の高齢化とともにずいぶんと空き家が目立つようになった。敷地自体が広いわけではないうえに、前面道路の狭さゆえ、建て替えや改修工事を行うにも通常より費用が過大になることから、このエリアには売ろうにも売れない、いわゆる“負動産”となってしまっている空き家も少なくない。この家も当時の所有者の頭を悩ませていた。
私が初めてこの家を見たときは、建物前面の瓦は落ち、ガラスが割れた窓は板で塞がれ、建物内は真っ暗だった。庭もすっかり荒れ果てており、敷地の背後を流れる鞍月用水の存在に気づくのにも時間がかかるほどだったが、何度も現地に足を運びながら逡巡するうちに、このまちの人々の温かな距離感や自然と生まれる助け合いの雰囲気が心地よく、明治期の長屋らしい質素な造りと建築面積9坪という小ささにも不思議と親近感を覚え、この家を自身の住まいとして再生することを決めた。
改修工事では、既存の面影をできる限り残しながら、設備や仕様もミニマムに留めた。敷地の過半を占める庭がこの家の最も重要な要素になると考え、庭に面して大きな開口部とウッドデッキを設けた。これにより、長く閉ざされていた月日を取り戻すかのように、光と風、そして用水のせせらぎがたっぷりと届く明るい空間に生まれ変わった。また、何十年か後、この家と私の寿命が尽きたときにも、庭が近所の人々の憩いの場として残り続けることを願い、庭には実がなる木々を植えてもらった。



『編む』菊川の家の改修後。窓を開けると、庭の奥に流れる鞍月用水のせせらぎが聞こえてくる。
所有から共有へ まちに点在する、現代の入会地
「菊川の家」に単身で居を構えたことで、いずれ空き家になるであろうこの家の行く末や、すでに周囲にある多くの空き家のことを考えるようになり、一つのアイデアが思い浮かんだ。それは、家主を失ったまま活かされることのない空き家を、地域資源としてポジティブに捉え、共同体の共有地とすることはできないかというものだ。近年はさまざまな家族の形や住まい方があるなかで、血縁に基づく相続にこだわらず、地縁や共感でつながる縁で土地や建物を引き継ぐ方法があってもいいのではないかと考えた。前述の通り、菊川エリアは歴史的な背景から土地割が細かく、個人所有だけでは活用が進まない土地や建物が多い。一方で、路地を介して住民同士が自然に交流する土壌があり、まさにこのアイデアを実践するのにうってつけの場所だとも感じた。
まだ思い付きに過ぎなかったこの発想を、以前から交流のあったアーティストと建築家に話したところ、2人は大いに興味を持ってくれ、菊川エリアに点在する空き家や空き地を所有者から借り上げ、それをシェアキッチンや図書館、アトリエ、ギャラリー、菜園などといった地域住民や会員らが共用できる場として活用するプロジェクト『綴る』を彼らとともにスタートさせた。
近代化以前には、地域で山林や草刈場を共同利用する“入会地(いりあいち)”という制度があり、そこで農民は生活に必要な薪炭や肥料、屋根を葺くためのカヤなどを得ていたという。この概念を現代に応用し、管理されていない空き家を減少させ、ここから生まれる有形無形の産物を分け合いながら、世代や分野を超えてつながり相互扶助ができる地域コミュニティの形成を目指している。

菊川の街並み。車が通れないほどの細い路地が今も多く残っている。
私たちはまず、エリア内にある1軒の空き家を、家財が残ったままの状態で使用貸借し、前所有者の名前にちなんで「イクヤマ家」と名付け、シェアキッチンを備えた拠点として整備して使い始めた。さらに、今年度中にはもう1軒、かつて製麺所だった町家を交流や創作活動の場として活用する計画も進めている。これらの空き家を使った共用施設は、「共の会」という月額会費制度で運営しており、現在25名が参加している。メンバーは、年齢や職業、出身国もさまざまで、自由に空き家に出入りしながら、地域住民とのごはん会やトークイベント、空き地を使った畑での野菜づくりなどを行っている。
また、プロジェクトの一環として、この秋には菊川エリアに点在する5軒の空き家を使った展覧会を開催した。空き家を枯死や休眠中の植物に見立て、アーティストやパフォーマーがその場で作品を展開し、アートを通じて空き家に新たな生命を吹き込む試みだ。
小さく少しずつ循環し始めた『綴る』。このプロジェクトが新たな地域コミュニティのモデルとなり得るのかはまだ未知数だが、今まさにその可能性を楽しみながら模索しているところだ。
2024年10月
文=ことのは不動産株式会社 松本有未
写真=Nik van der Giesen